イタコになるためにはどのような修行を行えば良いのでしょうか?
またイタコに求められている役割や、イタコ文化の現状がどのようになっているのか気になります。
ここでは普段あまり表に出ない潮来について徹底的に掘り下げていき,
イタコ社会が抱えている問題にも切り込んでいきます。
失われた幻の文化を復活させようと奮闘するイタコもいます。
あなたが知りたがっているイタコに関する全ての情報をここでお伝えします。
イタコってどんなことをするの?
イタコの仕事は巫女の一種と考えられています。
しかし、神社で働いているというわけではありません。
イタコの役割は多岐に亘るのですが、その中でも特徴的なものは神や死者の言葉を代弁するというメッセンジャーとしての役割なのです。
その結果としてイタコの口寄せという言葉が非常に有名になりました。
主に恐山の例大祭に合わせて先祖や死者と現在生きている人を仲介をするのが潮来の重要な仕事です。
イタコの役割は口寄せだけではありません。
重要なポイントなのは「オシラアソバセ」という儀式を執り行う事。
これは東北の民間信仰であり、神が宿る人形を遊ばせるというものです。
ですから死者と生きている人の間を仲介するだけではなく、このように民間信仰を守るために働くという面もあります。
それと同時にカウンセラーのような面を持っているのも事実です。
身近な人の死などを経験した人の心を受け止め、安らかにするのもイタコの重要な役割なのです。
時には口寄せをして時には神事に関わり、占いなどをする中でカウンセラーの役割もしなければならないので、イタコと一言で言っても役割の内容はさまざまあると考えて間違いありません。
非常にやることの多い役割なのです。
イタコになるには
イタコになるためには必ず修行をしなければなりません。
また修行を始める年齢も重要になります。
通常は10歳前後から修行を始めることが多く、どれほど遅かったとしても15歳からは修行を始めていなければならないのです。
また修行の期間も長いのが特徴です。
1年から7年かけて行われる修行を通り抜けなければイタコになることができません。
そのような厳しい修行を通り抜けた後卒業試験のようなものがあります。
最後のイタコと呼ばれている松田広子さんは3日かけて最後の修行を終えたと言っています。
滝行にも似ている行を1日3回行い、朝昼晩の3回108回ずつ般若心経を唱えたのだとか。
それだけではなくそれまで教えてもらうことのできなかった経文を1日1つずつ習得しなければなりませんでした。
また断食なども修行の中に入っており、心身ともに非常に厳しい状態に置かれたと回顧しています。
古来イタコは目の不自由な女性の仕事とされてきました。
目に障害を持つ女性の親がイタコになることを勧めるのも多かったのです。
現在では入門先などがわかっていないこともあり、イタコになるのはそう簡単なことではありません。
修行を始める時期の年齢的な制限があることも、難しさを一層高めています。
イタコは今、消滅の危機に瀕している
明治時代初期には恐山に500人程度のイタコがいたとされています。
元々の起源は江戸時代であり、山伏の妻となった女性が呪術を習得しそれを伝えてきたのがイタコの始まりと言われているのです。
しかし現在イタコとして活動をしている人は10名程度。
最盛期と比較すると50分の1にまで減ってしまい、イタコは消滅の危機に瀕しています。
その中で恐山で活動をしているイタコは6名とのこと。
そして、70歳以上のイタコが5名います。
現在ここまでイタコが少なくなってしまったことには社会情勢の変化なども関係していますが、イタコ自身が弟子を取りたがらなかったということも影響しているのです。
実はイタコの世界では顧客の獲得が非常に熾烈だったのだとか。
弟子を取ったとしてもいずれは独立します。
独立されてしまうと今度は顧客を奪い合うライバルとなってしまうのです。
そのような転換にしたくなかったと思うイタコが多く、50年ほど前から後継者の育成にはほとんど力を注いで来なかったのです。
その結果として今イタコが消滅の危機に瀕しています。
平成のはじめ頃にはイタコが恐山に30人ほどいたようです。
現在では6人しかおらず、そのうちの5人が70代以上であることを考えてみるとイタコの将来はかなり厳しいものです。
「最後のイタコ」松田広子が技術を残そうと試みる
最後のイタコとして世間に名を馳せている松田広子さんをご存知ですか?
10代の頃からイタコの修行を始め、正当なイタコとしては最年少であることを理由にして最後のイタコという通称を得たのです。
先ほど触れた恐山で活躍をしている6人のイタコの中の1人で47歳。
松田さんはイタコを東北の重要な民俗文化だと考えなんとか後世に伝えていこうと奮闘しています。
イタコが行う術についてももちろん語り継いでいこうと考えているのですが、神事としてのオシラサマアソバセも重要だと松田さんは考えているのです。
これは神が宿った2体の人形を遊ばせるという儀式。
片方は男性であり、もう一方は女性に見立てています。
この2体の人形は桑の木で掘ってあり、一家の守り神として儀式の中で登場します。
すでにオシラサマアソバセは廃れてしまい、現在松田さんは協力者と一緒にその儀式の復活を目指しています。
この儀式は一家の繁栄を願って執り行うものです。
伝統的にはイタコがこの儀式を執り行ってきたとされていますが、20年以上実施された痕跡がないのです。
何とかしていたこの文化を残したいと考える松田さんは、口寄せや巫術だけではなくこのような儀式にも力を注いでいます。
まとめ
イタコの役割はこれからの時代は必ず必要となるものです。
人間がこの世に生きている限り死別の場面は必ず出てきます。
そんな中で死者と生者の仲介をすることで、残された人の気持ちを安らかにするのがイタコの使命。
たとえ現在はイタコの数が少なくなったとしても、人が生きている限りは必要とされる役割です。
これからイタコの世界は後継者の育成に追われるでしょう。
何とかして後継者を作らなければイタコ文化そのものが廃れてしまいます。
かつては両親から捨てられてしまった子供がイタコになるということもあり、教会やお寺のような役割を果たしてきた面があります。
社会福祉が充実するとともに不幸な子供が少なくなり、その結果イタコが減ったという面もあるのです。
悲しい思いをする子どもの数が減ったことそれ自体は非常に喜ばしいです。
それと同時に東北の重要な民俗文化が下火になってしまったことは残念としか言いようがありません。
最後のイタコとしてイタコ文化を伝承して行こうとする松田さんを応援したい気持ちで一杯です。
イタコになること自体が非常に難しいところがありますので、爆発的に数が増えていく展開はないでしょう。
しかし、細々とであっても潮来文化がこれからも継承されて行くことに期待します。